平成8年4月から2年間、ネパールの地方都市で暮らしていた。
アパートの大家さんはロータリークラブの会員で、その町の大きな薬屋さんのオーナー、つまりお金持ちのネパール人だった。日本人の友人も多く、日本の事をよく知っていて教えてもらうことが多かった。
住み始めて間もないある日、彼の家に招かれた。彼は分厚い写真集を私に見せてくれた。「これは阪神淡路大震災から復興した記録の写真集なんだよ。さすが日本だ。こんなにめちゃくちゃに壊れた町がどんどんきれいに再建されていく」と。ネパールへ来る前の年の1月に神戸で大きな地震があったことは、もちろん知っていたし、ボランティアで何度も神戸通いをしていた友人も居たが復興過程の写真集を見るのは初めてだった。しかも遠く離れたネパールの地で?
「どうしてこの本を?」
「みんなで寄付を集めて送ったんだ。そのお礼にこの本が届いたのさ。日本はお金持ちでネパールは貧しい国だ。でも、こんなに大変なときはお金持ちだとか貧しいだとかは関係ない。そうだろう?何かできる事をしてあげないと知らん顔はできない。だって大切な人がこんな目にあっていたら、頑張れっって応援している気持ちを表さないと。当たり前の事だ。お互い様さ。」
そう言ってにっこり笑った彼はもうこの世には居ないけど、きっと今度は私の番。
気持ちを表して伝えたい。助け合いたい。当たり前のことを当たり前にしたい。
トントンで美味しいネパール・カレーを作り続け、美味しいチャイを飲みたい。
あのときの温かな体験を種火に、ここでこれからも暖め合いたい。
多くの大切なものを奪う「天災」は、私たちに「奪い去る事のできない大切なもの」が何か、を教えてくれる。確かなものにしていくのは残された私たちの責任。
初めてコメントさせていただきます。
報道で伝えられるネパールの様子にふれるたび、心が痛みます。
がれきの中で次女をかばって亡くなった若い母親のニュースは、まさに「奪い去ることのできない大切なもの」を教えてくれたように思えます。
方や日本では、小さな我が子をゲージに押し込み虐待死をさせるという現実があります。
この違いはどうして生まれるのでしょう?
きっと私たちは、立ち返って「当たり前のこと」から学び直さなければならないのでしょうね。
ネパールの復興を心からお祈りします。